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主張- ゆとり教育の歴史



日本の子供たちの学力が、世界の中で順位を落としてきていることに対してて、文部科学相がゆとり教育の失敗を挙げたというニュースを見ました。

何を今更分かり切ったことを言うのかと思いましたが、ふと、「ゆとり教育」はどこから始まったのかを調べたくなりました。(犯人捜しです)

(ここから、ちょっと政治的、思想的な話になりますがお許しを)

主にウィキペディアを使って調べてみたら、犯人は「日教組」でしした。文部科学省は日教組と常に対立していましたが、ついに日教組の力に屈したために「学校五日制」が始まったそうです。

なんと日教組は1972年に学校五日制を提唱していたそうです。日教組のトップの槙枝委員長が提唱されました。槙枝委員長といえば、金日成主席を神のように崇めて、日本を北朝鮮のようにしようと考えていた人ですね。かなり変わった考えの人ですね。

それに、日教組は、教職員の世界に「ストライキ」の文化を持ち込み、国家国旗掲揚を禁止するよう学校側に圧力をかけ、特に日教組の力の強い広島県では、校長先生を始め多くの教員が自殺して行きました。教育基本法改正では「国を愛する心」や「日本の伝統尊重」に大反対していたのは記憶に新しいところです。

長く自民党が日教組の活動を阻止していましたが、少しずつ学習指導要領の改訂が行われて行きました。

そして多くの公立小中学校及び高等学校で
1992年9月12日から毎月第2土曜日が休業日となりました

大きく変わったのは、1995年に三党連立の村山内閣(社会党)になってからです。文部省の中央教育審議会の委員に日教組関係者が起用され、「ゆとり」を重視した学習指導要領が導入されたそうです。
それから多くの公立小中学校及び高等学校で
1995年4月22日から毎月第2、第4土曜日も休業日となり、
2002年4月からは毎週土曜日が休業日となりました。

しかし、すぐに見直す動きが始まりました。

2003年には、民主党が学校五日制の見直しを一旦は掲げましたが、日教組が民主党の支持団体であり、日教組出身の議員をかかえているため、すぐに取り下げたそうです。

2005年には中山文部科学大臣が学習指導要領の見直しを要請して、指導要領外の学習内容が「発展的内容」として教科書に戻りました。

2007年に安部首相「教育再生」によって、ようやく「ゆとり教育」の見直しが着手されはじめましたが、日教組は、今でも「ゆとり教育を推進すべき」という考えを主張しているそうです。


結局、日教組とそれに同調した村山内閣が問題だったということになりそうです。


この人たちは、子供に暇を与えたらどうなるか分からなかったんですね、それに、子供にゆとりを与える前に、親にゆとりが必要な事が分からなかったんですね。子供を教育するためには、先に親を教育する必要があることくらい、自分の頭でちょっと考えたら分かる事なのに...。
誰かのもっともらしい学説を鵜呑みにして、自分の思考は停止してしまったのでしょうか。

欧米人がよく「日本人は聖書を信じないけれど、ワイドショーの話を神の言葉のように信じている」と揶揄するけれど、「自分の頭で考えない」というのが日本民族の弱点ですね。

文部省や日教組がもう少し自分の頭で考えてくれたら、「ゆとり教育」の失敗は防げたんじゃないのかな。


参考

ゆとり教育(ウィキペディア)
学校週5日制(ウィキペディア)
日教組(ウィキペディア)



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